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有限会社春日不動産春日不動産について>春日不動産の歴史

春日不動産の歴史

1958年(昭和33年)4月に創業して60年余。
当社の歩みを少し紹介させてください。

始まりは日本蕎麦店「春日庵」
初代社長が「不動産は仲介を本分とすべし」と教えた理由

春日不動産の前身は、昭和23年に千葉市春日町にて日本蕎麦店「春日庵」を初代社長小倉暉一と妻ゑくが開店した事に始まります。2人は家族と実家の父母と兄弟の面倒を見る為に早朝から深夜まで働き詰め、母は3人の子供も抱えつつ仕事をし、睡眠時間2時間の日が8年も続き、とうとう栄養失調と過労で倒れ、命を落とす寸前だったそうです。

そんなある日、暉一の息子で2代目社長の修二の弟(専務)の友成が、不慮の交通事故に会い入院…暉一とゑくは息子が交通事故にあった道を毎日見ながら仕事をするのが辛く、蕎麦店の移転を考えていた矢先に西千葉駅前に土地が売りに出ました。そんな時に、何と家に泥棒に入り、お金を全部盗まれてしまったそうです。しかし暉一はどうしても駅前に移転したくて、春日庵開店の時にお世話になった吉田様にお金を借りに行きました。「利息をきちんと支払うから貸して欲しい」と相談すると、吉田様は「利息を払う気なら貸さない、無利息で良いから持っていきな」と快く、無利息でお金を貸して下さったそうです。
暉一はそのお金で土地を購入し、建物を建てて「春日庵」を移転しました。そして二人はそれまで以上に働いて、吉田様に借りたお金を全額返済致しました。その御恩を決して忘れてはいけないと私達子供たちに常々言っておりました。その吉田様のお墓参りは家族で欠かさずに今も行かせて頂いております。(これからも…)

夫婦揃って店頭での写真。写っている自動車も時代を感じさせます。 夫婦揃って店頭での写真。写っている自動車も時代を感じさせます。

1947年(昭和47年)当時の春日不動産と西千葉駅周辺。春日不動産の建物は1958年(昭和33年)に建てたものです。 1947年(昭和47年)当時の春日不動産と西千葉駅周辺。春日不動産の建物は1958年(昭和33年)に建てたものです。

当時の春日不動産の看板と窓掲示 当時の春日不動産の看板と窓掲示

昭和20~30年代は、悪質ブローカーが多く暗躍しており、騙された方が多く、蕎麦を食べながら「騙された」と言って泣いているお客様を見て可哀想に思い、「自分が仲介して泣かされないようにしてあげたい」と考え、「春日庵」の店の片隅に「不動産部」を併設し、不動産業を始めました。

暉一は、「吉田様のお陰で現在の春日不動産があるんだよ」と息子である修二たちに話していました。「不動産は仲介を本分とすべし」「不動産屋が儲けちゃいけない。儲けるのはお客様だ。喜んでもらうこと」というのが暉一の教え。現在もその教えは受け継がれています。

春日不動産初代社長の小倉暉一。穏やかな笑みを浮かべ事務仕事をしています。 春日不動産初代社長の小倉暉一。穏やかな笑みを浮かべ事務仕事をしています。

暉一と共に必死に働いた妻のゑく。西千葉駅前の花壇での写真。 暉一と共に必死に働いた妻のゑく。西千葉駅前の花壇での写真。

今も残る先代の品々

  • 暉一の「宅地建物取引員試験合格証」。当時は「宅地建物取引士」ではなく「宅地建物取引員」という名称だった。 暉一の「宅地建物取引員試験合格証」。当時は「宅地建物取引士」ではなく「宅地建物取引員」という名称でした。

  • ゑくが使っていた算盤(そろばん)。歴史を感じさせます。 ゑくが使っていた算盤(そろばん)。歴史を感じさせます。

  • 現在も春日不動産の店内には初代社長小倉暉一の写真が掛けられています。 現在も春日不動産の店内には初代社長小倉暉一の写真が掛けられています。

春日不動産代表 小倉修二が振り返る、春日不動産の思い出

常に車の中に「ドライバー・ペンチ」
父母が不動産を始めた頃は、物件も少なく、ご案内すればほとんど成約したそうです。ご案内方法は「徒歩又はタクシー」で、二人共出る時は店の鍵をかけていました。父は、家主様の費用負担の軽減のため、常に車の中に「ドライバー・ペンチ」を持ち、アパートマンション貸家の小修繕に対応していました。私にも常に持ち歩く様に言っていました。今でも当社の営業車全部に工具一式積んでおり、現在は当社スタッフが受け持っています。(専門業者が必要なケースは取り次ぎをしています。)
3世代に渡ってお世話させていただいたお客様
父母2人の時代に「4帖半・共同汲み取りトイレ・共同流し台・風呂無し」のお部屋をお世話した学生さんが社会で働き、その後、結婚するからとファミリー向け賃貸マンションを借りに来て下さり、その数年後に当社の仲介で土地を購入して下さいました。父母にお世話になったからと言って来て下さり、父母にお客様に感謝いっぱいになりました。
バブル崩壊で経験した艱難辛苦
バブル期に周辺の土地の価格が1年経たない内に4~5倍に跳ね上がりました。そんな時に不動産数20数社の共同事業に誘われ、断り切れずに一度だけ受けました。それからほどなくしてバブルが弾け、数年、筆舌に尽くしがたい経験をしました。「正に艱難辛苦の連続」でした。一日違いで不思議に困難を乗り切る事が出来、無事に売買契約が完了し、20数社全員が喜びあう事が出来ました。お付き合いと言う情に翻弄された苦しみを通して良い勉強を致しました。
不思議な良縁
ある日ゼンリン地図を見ていると、私の名前と一画違いの方が掲載されていることに気づき、その住所を覚えていました。その年の暮れに亡き父のお客様が来店され、購入したばかりの家を2月1日~5月31日までの期限付きで貸したいと依頼されました。「時期的に、そんな都合の良い方はいないわよね」と言いつつお帰りになられたその数分後に、お客様が来店され、「建て替えで2月1日~5月31日までしか借りられないが、そんな都合の良い貸家はないですよね?」とおっしゃったのです。それだけでも驚きなのですが、まだ続きがありました。
受付簿に記載されたお名前を見ると、先日ゼンリン地図で見つけた私と一画違いのお名前。もしやと思い、「小倉〇〇さんは〇〇町にお住まいの方ではないですか?」と申し上げると「なぜ知っているんですか?」とびっくりされ、更に「2月1日から5月31日まで貸したいと言う方がつい先程来られました。」と貸主にお伝えすると「えっ本当にそんな方がいるの?」とびっくりされました。その2日後に契約致しました。
この出来事に、当社含めて3者が年の暮れに不思議な良縁に大いに歓びました。3者が喜ぶ仕事をする事が当社の理想です。

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